はじめに
生コンクリート
マッチ
せっけん
明治政府の働きによって各地でせっけんがつくられるようになりましたが、その一つが本所(ほんじょ)・向島(むこうじま)周辺です。せっけんづくりの名人・村田亀太郎氏が、花王(当時、花王石鹸)とライオンに、石けんづくりを伝え、それが今に続いています。
繊維産業
スカイツリーにある金色のオブジェは、もともと「鐘の淵」と書きました。このあたりは、昔から「鐘の音」がよく聞こえる場所だったようです。その音の正体は、隅田川を行き交う船の汽笛や、近くの寺の鐘の音だったと言われています。
ビール
金色のオブジェは、アサヒビールをふくむアサヒグループホールディングスの本社の頂上についていて、アサヒビールの燃える心を表しています。 日本でビールがつくられるようになったのは明治以降です。明治30年になると、アサヒビール(当時、大阪麦酒)、キリンビール(当時、ジャパン・ブルワリー)、サッポロビール(当時、札幌麦酒)、ヱビスビール(当時、日本麦酒)が、激しい販売競争をくり広げるようになりました。そうした中、大阪麦酒・札幌麦酒・日本麦酒の3社が、大日本麦酒という一つの会社をつくり、金色のオブジェのあたりに工場をつくり、それが今のアサヒビールにつながっています。
時計
学校の教室の時計は、どこのメーカかご存じですか?
「SEIKO(セイコー)だ!」という人が多いのではないでしょうか。現在のセイコーのもととなった「精工舎」があったのも、東京スカイツリーのふもと、本所(ほんじょ)です。明治25年にかけ時計をつくる工場ができました。その工場には、時計台があり、その時計台は平成14年に解体されるまで錦糸町のランドマークとして多くの人々に親しまれていました。
たばこ
現在、日本でたばこをつくっていい会社があります。それはJT(日本たばこ産業)です。明治37年、たばこが専売制(国が財政収入を増加させるために生産・流通・販売を管理すること)になり、当時、東京でたばこをつくっていた村井兄弟商会、大谷商会などの製造工場を引き継ぐとともに、浅草・蔵前に工場をつくりました。
旧国技館
旧国技館は天保4年(1833年)から両国にある回向院で相撲興行が行われていたことから、明治42年(1909年)にその境内に国際スタジアム(旧国技館)が建設され、当時はドーム型の建築物で収容人数は13,000人でした。戦後はアメリカ進駐軍に接収され、メモリアルホールと呼ばれました。
その他
旧国技館は天保4年(1833年)から両国にある回向院で相撲興行が行われていたことから、明治42年(1909年)にその境内に国際スタジアム(旧国技館)が建設され、当時はドーム型の建築物で収容人数は13,000人でした。戦後はアメリカ進駐軍に接収され、メモリアルホールと呼ばれました。
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